インドの西プジーの思い出

2019/7/30

 7月の27日までの東京の日照時間が44時間だという。
この寒さで野菜は実れず夏物衣料は売れず長そでて過ごせるというより寒さを感じる7月だったが後半に入ってから急激に真夏の暑さに戻った。
どうも私の体のリズムは梅雨を境にバランスが崩れ体力が低下するようだ。
私の紫微斗数の命盤を開くと天空、地劫、化忌という凶の副星が落陥(悪作用)し主星まで落陥した状態で春先の宮に入っている(旧暦を使う陰陽五行占いで12宮を使う占い)。
 プジーを旅していた当時(71才)は外でのバイトも週2~3回していて体力もかなり使っていてホームページで販売している奇門遁甲カレンダーを振込み方式からクレジット決済へ変換手続きをしていた時期で頭の中がグチャグチャ状態でもあった。
孫たちを大磯港の海水浴場に連れて行って帰ってきてから帯状疱疹にかかっていることが分かった。
原因の一つは酒の飲み過ぎによるものだとは自覚している。
ビールがうまくなる季節だからな~

 一度は酒をスパッと止めたのにと2017年9月終わりからのインド西の10Km先はパキスタンというプジーからカラクム山脈の国境が定かでないパキスタンと中国の国境が今のところは暫定インドというラダックの海抜3500mの旅を思い出している。
酒もたばこも生活習慣病だということをグジャラート州のプジーで実感した。
インドのヒンズー教徒は酒を飲むことは一応 禁じられてはいるが酒屋はある。
目立たないところにひっそりとでもなくうつろな人たちがたむろしているのですぐわかるところが酒屋だ。
プジーはパキスタンと隣り合わせでもありイスラムの世界が入り込んだのこのエリアは酒を飲む習慣がなくインドでは裏通りにひっそりと存在している怪しげな酒屋が全くないのだ。
郷に従えばということわざ通りないものねだりはしょうがないと思っているうちに酒の代わりに果物を食べる習慣が根付きそのままインドの旅が終わった。
気が付けば酒はラダックのホームスティで親父が勧めてくれた自家製のドブロクを一口飲んだだけだった。

 プジーの周辺はインダス川の堆積で海から陸になったという。
多くの少数民族の住むプジーの北側パキスタンの国境エリアのカッチ地方は塩分が強く農作物が育たないところだ。
イスラム教の人々がわずかな耕作地を求めて暮らしているところだった。
インドの中央から南にかけては日本のような季節はなく乾期か雨季かの世界でモンスーン気候といわれている。


はアラビア海よりより海の水蒸気をたっぷりと吸い取った湿った空気が太陽に熱せられた大陸に向かって移動し雨を降らせる雨季
←⇚は大陸の温度が下がり乾いた大陸の空気が海に向かって移動し熱風が吹き付ける乾季
私のたずねた時期は9月の終わりで乾季の始まった時期だった。
赤道に近い西インドはいつも暑い。
モンスーンという季節風が雨季はアラビアから荷物を運び乾期はインドから中東に木造の船(ダウ船)荷物を運んでいた。

  2017/9/16自宅出発AM11:30 成田空港→上海空港(トランジット)
トランジット中に空港内で大勢の乗客が次々に浄水器の備え付けの紙コップに水を注いで飲む姿につられて私も飲んだ。
飲んだ後で上海の友人に「上海の水は最悪だからペットボトルのミネラルオーター以外は飲んじゃダメ」といわれていたことを思い出した。
その後この助言の正しさをインド北部のラダックのレー(3500m)の町に到着した10/3まで実感した。
レーのチベタン食堂でモモ(チベット餃子)を食べ終わったとたんに便意が襲ってきて慌ててゲストハウスに引き返し事なきを得た。
その後おなかの調子が嘘のようにピタッと治ってしまった。
上海の水は浄水器を通しても恐るべき威力を持っている。
特に日本のようにどこの町の蛇口の水を飲んでも安心という国は極めてまれなのだと実感した。
このおなかの調子が良くないということも酒を飲まない原因だったと思う。

 この旅でもスマホはインドの通信会社artaのSIMをデリーの空港で購入しアクティベーションが必要というのでartaの店員が解除してくれたのにネットにつながらない。
ムンバイ空港でトランジット中に知り合ったムクンド君が解決してくれた。

IT技術者のムクンド君

 成田からプジーまで4回も飛行機を乗り継いでいる。
成田から上海① 上海からデリー② デリーからムンバイ③ ムンバイからプジー④
格安航空券を使う旅だからしょうがないとはいえ疲れます。
日程に余裕があればインドは鉄道が安いので列車の旅も面白いが父を家族に見てもらう期間はどんなに長くても3週間は無理だから私の旅は期間限定なのだ。
(私の父は101才で自分のことはほとんど自分でできるが日々車でドライブに行くのが日課でそれが私の仕事でもある)

 このインドの西のはずれはグジャラート州という。
プジーの町から10kmも行くとパキスタンというプジーはインド最西端の町でもある。
インドという国は周りの国とどうもしっくりいかないようでパキスタンとは犬猿の仲なのだ。
中国とも、バングラディッシュとも、一度ミャンマーからインドのインパールへの陸路ルートを調べたが外国人には開かれていないらしい。
ということはミャンマーまで?
となりの国は上手くいかないのが世の常なのかも?日本も含めてです。
 インダス川の堆積物で作られた海抜0メートル地帯のカッチ地方は少数民族の宝庫のような地帯でカラフルな独特の服装をした人々がプジーの町中でも多数見かけることができる。
外国人がプジーから郊外に出かけるためには特別許可証が必要で宿屋のおやじにお願いした記憶がある。
その許可証をもって少数民族のエリアと塩の砂漠に車をチャーターして出かけた。

とんがり帽子の円柱の家と少女


ラクダ使いの天才の少年


少数民族の家族


ローガンアートの集落


現場を見せてもらう


作品を見せてもらう

カッチは塩分を含んだ土地なので農作物は育たない
そのため手工芸品を売ることで生計を立ててきた。
その歴史が素晴らしい民芸品をはぐくんできた。
私の一番

プジーの安宿で私を見守ってくれた部屋の人形

 9月から10月にかけては秋祭りのシーズンでプジーでもヒンズーのお祭りだと思うが

クマリ(少女の生神様)のような感じなのかもしれない

この旅では次に訪ねたアーメドバードでもその次に訪ねたラダックでもお祭りや結婚式に参加でき思いがけない幸せをもらった。

 人々が集団で生活するためには「祭り」ほど大切なものはない。
富める者はほどこし 貧しき者も胸を張って 宗教を乗り越えて みんなで分けあい みんなで楽しむ 今を楽しむ
とても大事なことだと
この幸せが永遠に続きますように

ブログに戻る  気学の占いだよ!