時空を旅する 1

2016/12/12

 心は不思議だ。
心はその人だけの物でありほかの人がその人の本当の心を見ることはできない。
想像し推察するだけである。
心は一瞬で過去に飛ぶこともできる。
また未来を夢見ることもできる。


(65年より前の私たち家族とおば夫婦といとこ 生まれ故郷の北海道での一コマ)

 心は多感だ。
人を好きになり愛することもできるしその愛を捨てさることもできる。
反対に人を嫌いになりまわりから消えてなくなりたいと思うこともできる。

 大きく攻撃され大きな傷を負っても時を重ねるごとに傷口が小さくなっていく。
でも決して傷跡が消え去ることはない。
ただ小さくなっていくだけだ。

 心は自由奔放な好き勝手な世界ではとめどもなく欲望だけが膨らみ始める。
欲望の先にはもっと大きな欲望しかなくとめどもなく膨らむだけの欲望。
そしてその欲望が他の人の心を傷つける。

欲望を小さくするだけで気持ちが楽になる。

これを書いていてインドのお金持ちを成田空港に迎えに行ったことを思い出した。
7人乗りのワンボックス車を借りていってほしいという。
成田空港で出迎えると使用人4人と荷物をどっさりじゃワンボックス車が必要なわけだ。
荷物の多さもヒンズー教徒の人はベジタリアンなので日本の食事はほとんど受け付けない。
インドの友人が日本寺でうどんをごちそうになったときに鰹節や煮干しでだしをとると食べられないといっていたのを思い出した。
安全のため食料を持参したというのだ。
明らかに使用人の人たちのほうが旅行を楽しんでいたね
でも使用人の人たちとカーストの違いからボスが一緒に食事をすることはない。
お金持ちもそれなりに生きるのが難しいということなのでしょう。
そのカーストの中でも下の人も上の人も人々は幸せを求めている。
明日食べるものを事欠く下の人たちも

2007/6/17 インド ラジギール 部落の中にて 
今でもこの子たちに字が読めるように教育を受けさせてあげたいと願っている私です

お金持ちのダージリンティーのボスも

(2002/1/21 インド ダージリンの広大な農園と紅茶工場の経営者と私)

ボスは家族はカルカッタの邸宅にボスはダージリンで会社経営

幸せはどちらか?というと・・・・

 般若心経での「色即是空 空即是色」は今のことはまぼろしであり まぼろしは現実にもなりえる。
つまり物事とはそんなものであるから気楽に生きなさいということと私は解釈している。
私の時代の昭和20年代生まれの男性には会社人間が多い。
我が高校の同級生にも自分が社会を会社を担ってきたと自負している友。
でもこの時代は高度成長期で何でも作れば売れる時代 アメリカの下請け工場だったのだからお金が入れば税金もどんどん入ってあんたでなくても?といってはおしまいなので私は黙っているけれど。
定年退職して部下のいない平の生活に戻ると上下関係から横の関係になるわけですぐに取締役や部長の自分が顔を出し接待されるのが当たり前と思い上がりまわりのひんしゅくをかっている哀れな老人が今の若いものはと・・・・時代が変わったのに気づかない人たちは意外と多い。

あら、とりとめもないことを書いてしまった。

幸せって心もようなのかもしれない。
小さな幸せをたくさん見つけて大きな幸せをつかんでいきましょう。