1月20日 カルカッタから空路でカトマンズーへ

 カルカッタでヒマラヤ水晶の原石を紙で包みクッション材も使い3個の紙の箱に入れた。
今回は水晶の原石の塊(ブロック)は重たいのでソナムに返す事にした。
 体が疲れているのだろう。
朝起きる時間もだんだん遅くなってきている。
今回の旅での食事はデリーでも中華が中心でカルカッタでソナム推薦の上手い店も中華レストランだった。
私とスーはあぶらっこい食べ物は体が受け付けなくなっているのかも?
 重い荷物を担ぎカルカッタ空港には11時に着いた。
カトマンヅー出発時間は2時40分の予定。

カルカッタ 1 カルカッタ 2
カルカッタ 3 カトマンズーへインド航空(IC747)

インド航空 IC747の乗客はほとんどがネパールの人たちで外国の旅行者が少なく私達のほかに日本人のツアー7~8人を含め20名に満たない。
カトマンズーの空港を無事通過し(3泊4日はビザが無料で私達はこの制度を利用した)外にいつものように客引きが待ち構えているかと思ったがなぜか閑散としている。
初めてのカトマンズーなのでプリペイドタクシーでカトマンズーの中心部のタメル地区に入ってからカトマンズーでの宿を決めようとスーと機内で話していた。
プリペイドタクシーでタメルまでのティケットを買おうとしたら日本語が多少話せる男がホテルを決めて行ったほうが良い。
断ったが外国人旅行者はすでに誰もいないし、カルカッタの空港で日本人ツアーの添乗員が大声で電話で話していたのを思い出した。
男がホテル コート・ヤードなら50%オフで泊まれると、言っている。
そのホテルは地球の歩き方(ガイドブック)で私がリストに入れていたホテルの一つだった。
「ホテルを見てから決める」
「ノー ノープロブレム」
私達がタクシーに乗り込むと男も青い書類を持ち私達のタクシーに乗り込んできた。
空港は人影は見えず閑散としている。
走り始めてすぐに数人の兵士の検問に会う。
銃を構えて目が血走っている。
男が助手席の窓を開け兵士に青い書類を見せ何かを大声で話した。
兵士の上司が行けという合図をしてタクシーは走り始めた。
その検問は4箇所以上だった。王宮を過ぎると検問は簡単に通過させてくれた。
男の名はドルジ
ドルジが車の中で「今日は戒厳令で外出禁止になった。明日は解除されるから問題は無い」
タメル地区に車が入った。
街には人影もまばら、外国のジャーナリストが3台のカメラをぶら下げ走り去った。
ホテル コートヤードに着いた。
誰もいない。
電気もついていない。
私は自分のライトを持ってドルジとホテルの部屋のチェックに行った。
お気に入りの部屋が見つかった。
電気は2時間後(ネパール時間で7時)には回復するからチェックインは電気がついてからという。
メタル地区全体が停電になっている。
ドルジはホテルからサービスにビールを出すので我慢してほしいという

 ホテルにはカウンターに数名いるだけで他の従業員は自宅待機で明日の朝にならないとホテルには来ないらしい。
私とスーは部屋でロウソクの明かりの中でベットに倒れこんだ。
疲れがドット出た。もう何もしたくない感じ!
電気がついた。チェックインを済ませる。
ホテルのレストランでホテルからのビールを飲む。
今日の夕食もモモとヌードルだった。

夜中にスーに異変が!続いて私にも、最初はおなかだ刺すように痛くなり下痢が、次に寒気が襲ってきた。
風邪を引いたらしい。疲れもピークに達していて胃の調子もよくなかった。そしてカトマンズーは寒かった(カルカッタは半袖で過ごせた)。
私とスーは眠れない夜と闘うことになった。

IC747から ヒマラヤ
ネパール ロウソクの明かりのホテル


1月21日
私が少し回復の兆しが、朝8時に22日のマウンテンフライトのチケットの購入に行く約束をホテルのスタッフと昨日していた。
頭はもうろうとしているが何とかベットから抜け出しスタッフに連れられて旅行社に行った。
マウンテンフライトで一番良いフライトは朝一番のフライト、アサヒがヒマラヤを赤く染めみんなが狙っている。
私も朝一番7時のフライトを申し込む。
残念ながら満席というので次の便のティケットを購入する事にした。
ホテルのスタッフが「私にまかせて」という。
まったく信じていないが私は彼にお願いすることにした。
朝早く6時の出発を予定すると車もチャーターした方が良いというのでそれもお願いした。
体が!頭もボーっとしている。

私もスーも今日は何もしない日にする事にした。
食事も今日は絶食の日で水分の補給にミネラルウォーターだけはたくさん飲む事にした。

夕方、ホテルのスタッフから明日のフライトが一番の7時に変更できたと知らせてきた。