バンコック

2017/03/02

今回の旅のルート

 ミャンマーの開発の足音はヤンゴンでもマンダレイでも急速に早まっている。
この次に訪れた時にはビックリするほどの都会に変貌していることだろう。
国境の街のコータンはタイから船で川を渡るとドラえもんの「どこでもドア」の扉を開いた別天地だったけれど南部ミャンマーの鎖国解放によって普通の旅人がミャンマーの入り口として通過するようになるだろう。
昨年まではタイのヴィザがいったん国外に出て再入国すると30日の滞在許可をいつでももらえたのが年2回しか30日の滞在許可を得ることができなくなった(バンコックでのテロの影響が大きいと思うが)。
今までこの制度を利用して何度も行き来してタイに滞在していた本当のヴィザを持たない外国人どちらかというとタイに不利益を与えるといったらいいかしら不良外人を締め出す作戦なのだと思う。
今までは陸路でタイ国境のラノーンから川を渡りミャンマーのコータンに入って戻れば30日の滞在が何度でも可能だった。
でもコータンの街からほかの街にはいくことができない(ミャンマー側も不良外人締め出しということなのか?)
変わりつつあるミャンマー、ついに南部ミャンマーを外国人に解放した。
タイもこのことに合わせたかのように30日ヴィザを年2回にしたのかもしれない。
ミャンマーヴィザはインターネットで申請できるEヴィザ50ドルもそれにより南部のコータンもその一つに加えられたようです。
私とスーは利用させてもらったがしっかりとクレジットカードから50ドル×2決済されました。
カンボジアを見習っているのかしらね~
国境はお金次第ということです。
でも変わってほしくないと思う村も
バガンの村は今のままの姿をとどめてほしい。
金ぴかのバゴダ(仏塔)よりも崩れかけた現状のバゴダが歴史を感じさせてくれる。
道路も土の道路でいい。ゆったりとした時間がここの空間の良さだから。
空調の効いたタクシーや観光バスでこちらからあっという間にあちらへという移動では味会うことのできないこの空間の風と匂いと暑さを伴ってこそバガンの魅力があるのではと私は思うのです。
 今このページをバンコックのホアランポーン駅前の安宿スリクルーンで書いている。
このスリクルーン値上がりして980バーツも3200円になっていました。
昔は500バーツだったんだよね。時代の流れを感じさせられました。

 バンコックはチャイナタウンは私とスーには何度も来ているので慣れているつもりだがいつも食べていた屋台がなくなっていたりそれなりに変化しているようだ。
空港で会った日本人がカオサンに泊まるという。
私たちがチャイナタウンに泊まるというと「ヤバくない?」という。
チャイナタウンはガイドブックでは危険なところとして扱われているようだ。
という私とスーもカオサンには行ったことがないのに気が付いた。
早速、チャオプラヤー川の連絡船で行くことにした。
チャイナタウンはNo.5ラーチャウォン船乗り場からカオサンはNo.13プラ・アーティット船乗り場に移動。
着いたとたんにヨーロッパ人のたむろするエリアが現れた。
バンコックではなく外国人御用達の通りに変身しているエリアだった。
サイゴン(ホーチミン市)のデタム通りも同じ匂いがしていた。

バンコック チャイナタウン


チャイナタウンの屋台


連絡船(チャオプラヤー・エクスプレス・ボート)


No.13 カオサンロードの入り口


カオサンロード


バンコックに出現した多国籍エリアと書いてチャイナタウンも似たようなものですね


私とスーの旅の終わりが始まる。
3月4日の7時にスリクルンの宿を出て空港に向かいます。
あ~それで旅は終わります。
そしてまた、パソコンに向かってあ~でもない?こ~でもない?
悶々とした時間が流れ始めるのだ。

 

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