平成19年5月24日 父島の旅

 北の海はどんよりした暗いイメージが私の頭には今も残っている。
北のオホーツクは私のふるさとでもある。
流氷が現れると一段と厳しい寒さというよりは痛いと表現したほうが良い冷たさ、海の色はふかい深い藍の色だった。
私の海のイメージはこのように暗く冷たいさびしさが心の奥にはあったのです。
 小笠原の海は正反対の明るさを感じられる。海の色はコバルトブルー、きわだつ透明感、温かい風、磯の生き物も色彩豊かで愛嬌がある。
北の海のは何もかもが父島では正反対に感じられたのは私だけ?

 しかし、どちらも生活は厳しい。北のオホーツクはミルクの海といわれるほどプランクトンは豊富、海の生き物は冷たさと戦うためにたくさんの脂肪を蓄える。自然の荒々しさとの戦いでもあるのですが?
鮭、ほっけ、ホタテ、かき、昆布・・・・・油がのってきわだつうまさが北の海にはあるのですが南の海にはプランクトンが少ないため海の透明感は美しさが際立つのですねー。

共通点が・・・風の強さです。
台風が通過するときの父島の風は想像を絶するそうです。
そうです、21日から22日にかけて台風2号が父島を通過したようです。
トレッキングガイドの島さんも民宿がじゅまろの人たちも大変だったでしょう。
でも、台風一過の輝く太陽の父島も今度は見てみたい(旅行者の身勝手な思い上がりの考えですが)。

 父島は戦後一時アメリカの領土だったので住んでいる人たちはアメリカ的です。
民宿がじゅまるのお母さんも私は日本の漢字が苦手といって本棚の本は全てが英字の本です。
お母さんは父島よりハワイが私は好きだー、といっていました。
自家栽培のトマトは風除けのついたてで囲って作ったトマトです。帰りにお土産で貴重なトマトをいただいてきました。

 島の人たちは仕事や学校が終わると釣りや磯遊びです。
男たちは港の岸壁で魚釣りに励みます。もしかしたら、1万円で取引される幻の魚が釣れるかもしれない。
私が見ているときにはアオリイカが釣れました(しかし、なかなか釣れないんだ。開口 健の「幸せになりたかったら釣りをしなさい」という文がこのとき脳裏に浮かびました)。

帰りの船で一緒だったアメリカのアリゾナに住んでいるMr.セボレイは父島に住んでいるお母さん87歳に会いに来たと言っていました。
お母さんは元気で安心したと何度も私に言っていた。
彼は島のレンタルバイクショップのジョンさんとも友達と言っていました(私がミニバイクを借りた店のご主人)。

シーカヤックとシュノーケルはできなかったのですが帰りの船で知り合ったグワムのプロダイバーで写真家に小笠原諸島の海を見せてもらった(Macで画像編集をしていた。私は運勢カレンダーをWin98で)。
ざとう鯨を身近で撮るなんてすごい!バンドウイルカとの乱舞もすごい!マグロも!ダイバーの写真も!そして海の美しさ!
彼は6ヶ月を海で過ごし、6ヶ月を写真を売るために過ごすそうです。
売れることを祈っています(ファンタスティックでナイスショットだもの売れますよきっと!)

アリゾナからお母さんに会いに来たセボレイさん グワムのダイバー写真家(ファンタスティックな海を見せてもらう)

 最後に方位の事
今回の旅行での感じはまだ結論は出せませんが各方位45度が正しい感じがしています。
飛鳥跌穴は現在のところ感じられませんが八門の生門の感じは強く感じます。

船の旅もなかなか良いもんです。
合計50時間の船のたびだった。

父島はゆったり、のんびりの楽園でした。

所 輝美より