ニムシャンハウスとお別れ

2017/10/09

 星の輝きと月のまぶしさに感動した夜だったのと布団がとても暖かく気持ちが良い。
悦子さんの心配りがうれしい。
 天井が木の梁に小枝を敷いて断熱効果を上げている。
煙の燻で黒くなっているようなので虫よけにもなるし先人の知恵なのでしょう。
朝日が差し込み明るくなった天井を見ながら色々なことを考えている。
考えても仕方のないことばかりかもしれないがいくつになっても人は物思いにふけるのです。
 悦子さんの今朝の朝食はおかゆにかぼちゃの煮物。
おかゆはラダック風、熱々でこれまたうまい!悦子さんは料理上手だ!

 今年の冬はこのラダックで越そうと悦子さんはいう。
ラダックの冬は厳しい。
北海道で標高600mの北の開拓地で数年間子供時代を過ごした経験が私にはある。
吹雪が吹き荒れる 交通も遮断される 食料も底をつく それでも人は生きていく
このラダックも吹雪こそないが3500m修正ニムシャンハウスは3650mの高地なのだからその厳しさは相当なものだろう。
その冬を楽しんでもらいたいと思う。

追記:高度が50m下がると同じトマトでも大きく育つと悦子さんはいう。
植物の高度極限の地帯ということだと思う。
悦子さんの旦那のワンボさんが小さな水田で稲を今年育てたが失敗だったとその水田を見せてくれる。
かぼちゃは立派なのができたといっていた。
紫外線はこの高度では強力で予防しないと皮膚がはがれるくらい強くラマユルのゲストハウスのお母さんも日焼け止めクリームを塗っていた。
私はヘルメットで防備していたが眼鏡をかけていいるがその隙間はから強い紫外線が入り込み肌がピリピリしていた。

 10時近くニムシャンハウスを後にしてもう少し先のティクセまで行こうと考えた。
このゴンパも有名だという。
ゴンパには台湾からのお客が小グループで訪れていた。
最近は日本人よりも香港、台湾、タイ、韓国からのお客が多くなっているらしい。
日本人で暇なのは老人だけ?若い人達は忙しすぎるし思考も変わってきている。
明日はデリーに移動しなくてはいけない。
最後のラダックの一日になる。

2時過ぎにレーに戻って来た。
もうスクーターは乗ることはない。
ヒデンヒマラヤにバックを置いてレンタルバイク屋といっても目と鼻の先だけど、若旦那がいたので返しに来たぞという。
もう乗らないのか?というからもう終わりだといって握手する。
私に自由を与えてくれたスクーターともこれでお別れだ。


ラダック仕様の天井 


料理用ストーブ(現在は使っていない) その上の石の鍋は料理をおいしく作る秘訣だと悦子さんはいう


ラダック風おかゆとかぼちゃの煮物 大変おいしかった


ありがとう 楽しい一夜を過ごさせていただきました。


ティクセ・ゴンパ


高僧とタイの観光客だと思う質問をしていた


巨大なチャンパ像


ティクセ・ゴンパから


この先にへミス・ゴンパがあるがこの悪路をというより小さな車輪のスクーターにはワダチが怖い こんなところを何度もひやひやしながら通ってきたが


へミス・ゴンパ


へミス・ゴンパからインダス川と猫の額の耕作地


ハーイ! レーに帰ってきました。 ヒデンヒマラヤの前で女の子たちが何を待っているのかワイワイガヤガヤと


明日はJetAirwayでデリーに向かいます。レー発8:55だったと思う
ヤンベルがタクシー乗り場に7時に行けば大丈夫といっている。
デリーは暑いのだろう

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