原チャリの旅
初日

2024/9/18

 歩いて世界を旅するバックパッカーは、メコン川下り1泊2日の旅で出会った若者
インドのラダックをスクーターで巡る旅で出会った自転車旅の若者
速度が遅いほど見える世界は変わってくる
道端ですれ違う人も、庭先から見える家も、子供たちも、露店の売り子も品物も何もかもが輝きを増してくるのだ。
いつかそんな旅をしたいと思っているうちに、もう80才がまじかに迫ってきた。

 息子が10年前の50㏄のスクーターを見つけてきた。
この歳になると歩くだけなら何とかなるが荷物を背負うと、とたんに自信を無くす。
自転車も坂道に出会うと、とたんに自信を無くす。
スクーターならインダス川に沿って3500mの高地を駆け抜けた。
ラオスのルアンババーンでも爽快に乗り回した。
日本でもできるんじゃない?

 おれは、また原チャリに乗ってあてもない旅に出ることにした。

 テントと寝袋は友人スーが用意してくれた。
荷物はLCC (格安航空)の旅では7㎏以下だが今回は、さらに雨具や着替えも多くしたので倍の14~15㎏にはなる。

 最初の目的地は横須賀久里浜のフェリー乗り場に8時までに着き8:20発金谷行きに乗船する。
そのために自宅を6時前に出発し、久里浜には8時には着いたと思う。
金谷からは、できる限り海岸線に沿って走り九十九里浜を目指した。
 荷物を積むと快適に走ってたスクーターがサイドスタンドでは荷が重すぎてひっくり返るし、ブレーキは強く引かないと止まらない。
重心が高くなりバランスも悪くなって、快適とは言い難く運転にも難ありだが、旅というものは、こんなもんだ。

 千葉の海岸線は金谷は鋸山で有名な岩々が海岸線を連なり、東京湾を大型船が行き来し空には羽田と成田からの飛行機がコメ粒ほどだが往来し、人も車もまだ多い。
太平洋に出ると、それは雄大な眺めの海が広がり始まる。
海岸線に沿るので県道や私道が多く、車の往来も少なく重苦しいスクーターも快適に走る。
国道でも都会を離れるとぐっと往来は少なくなるので楽しいドライブとなる。
道の駅が時間制で閉まっていたりする。
まだ、コロナ後の遺症が残っているのだろうか?
でも、こんなところに?
ネットの力だろう、外国人が集まっていたりする。

金谷を出たのは9時過ぎ、途中何度も寄りはしたが熱中症注意予報を走るのはさすがにつらい。
原チャリの弱みはエアコンなし、直射日光バリバリ浴び、風をまともに受け、汗を吹き飛ばし、トラックにも抜かされ風圧を浴び、ひたすら耐え走ることにある。
 道の駅「和田浦」ではちみつ入りソフトクリークを食べしばし休憩、というより熱中方注意予報中の灼熱の暑さでダウンといったところ。
恐れたいたことが、本来はいすみ市の手前までは行けると思ったのだが?
午後1時過ぎてこれ以上はこの暑さの中では危険と感じる。
そこで、鴨川まで行けないのなら外房線の安房天津駅のそばの宿屋と予約してあった「ひだまりIN」に宿泊することにした。
 おれの占いではこの場所は我が家から南東になり 本来は頑張ってもう少し走って東のライン鴨川の先まで行きたかったのだが?
本来は東を目指す予定だった。
東は日盤も大吉、時盤も大吉だったのだが?
行先が南東に変更になると日盤は小凶、時盤は凶となる。

澄み切った空(灼熱地獄を暗示している)七里ガ浜より江の島 小さいが富士山も見えてた。」

荷物満載のおれの原チャリ 横須賀久里浜フェリー乗り場にて

千葉県金谷フェリー乗り場に到着

外房フラワーライン 波左間島 遠くかすかに大島が見える

漁港のわき道を入ると海岸に出る 原チャリだからいける

須崎灯台 吹き出す汗をもろともせず探索する

道の駅のクジラの骨格 さずが巨大である


 時刻は午後2時だが、カンカン照りの中を朝4時から準備し6時前に原チャリで灼熱地獄を走ってきたおれには今日はここまで!!!
しゃれた宿の「ひだまりIN」に到着

コンビニに行き、ビールを買ってからシャワーを浴びて 大変うまいビールを流し込んだらベットにもぐりこんで熟睡となる。


明日に続く