インド(ラダックとグジャラート) 後書き

2017/10/23

 インド 私にとって特別の国インド。
初めての一人旅のインド すっかりバックパッカーにはまってしまったインド ガンジス川の源流の氷河のほとりで凍えて見上げた星輝く天の川のインド  現地人バスツアー430円なり最南端コモリン岬巡りの疲れたインド・・・・・・・
インドは思い出が詰まっている特別の国なのかもしれない。
 10年ぶりに西のグジャラートと北のラダックを目指した。
ガンジス川の源流ゴームクを訪ねた時にチベットの民の住むラダックのことを知った。
ヒマラヤの懐標高4000mゴームクはヒンズーのシバ神が降臨したとされていたのでヒンズー教徒の聖地だ。
インダス川とカラコラム山脈そしてヒマラヤ山脈の高地にラダックはあるという。
これって秘境好きにはたまらない響きだった当時の私には?

 スー(友人)がたまたまラダックのテレビ放映を見て私にラダックはいいな~紺碧の空と雪をかぶった山に緑のオワシス と友達の「おさむちゃんのすし屋」で私の耳元でささやく。
スーのラダックの一言が星降るゴームクが脳裏に輝き カラコラム山脈 インダス川 桃源郷とお酒のせいもあり頭の中に響き渡ったのだ。

 ところで旅に出るには理由が必要でその答えを私の主催する「気学の占いだよ!」ホームページに求めた。

 奇門遁甲という方位占いがある(主催者は私)。
この占いで一番人気が天が甲で地が丙の組み合わせで「青竜返首」せいりゅうへんしゅという★のマークだ。
青竜は幸運のシンボルで青竜が首を返してこちらにやってくる。ズバリ幸運が舞い降りるという。
八門が吉門なら最良の組み合わせとなる。


2017年9月26日の日盤の西が天地が甲と丙で★のマークの「青竜返首」しかも景門(知恵の吉門)で+22の大吉!
今までの海外の旅では青竜返首は一度も使っていない。
機会があれば使いたいとつねづね考えていた。
インドの大部分は我が家から奇門遁甲の測定方式では西に入る(詳しくはメニューを参照)。

 気学の占い
私は九紫火星年生まれです。
9月の気学は一白水星酉(とり)年、一白水星酉月と年と月が九星も十二支も同じで重なる特別な月です。
九紫火星年生まれは西は相性の良い三碧木星が回座します。
そして西に入る酉が三合(大吉)になるので大吉方位になります。
この年と月の星が重なる十二支がダブル三合になる時と方位を狙っていた。

 2017年9月九紫火星月盤
ただし気学は磁方位を用いるため我が家からはラダックは西には入らない。
そこでボリビアのウユニ塩湖に負けない規模のグジャラート州にあるカッチ地方ホワイト・ランを目指すことにした。
この場合の我が家からの測定(偏差+7度)では西北西と西というより西北西になるが磁方位は移動で北から南に下がると偏差が0度に近くなるので磁石で移動したら西になるのではと勝手に解釈しているが?
ちなみにカッチ地方は偏差0度なので。

 ということはたいした理由にもならんかも?
好奇心を刺激し想像力を豊かにする旅が私の生きがいであって何事にも代えられないということかな~

 今回の旅はインダス川が大きくかかわる旅になった。
ブジーのカッチ地方は少数民族のるつぼである。
また、民芸品も少数民族の数よりも多く存在している。
その理由がインダス川にある。
もともとカッチ地方はほとんどが海だったのだ。
インダス川の堆積物が小さな島を作りそこにパキスタンやアフガンから人々は移り住んだ。
この地方は海抜ゼロメートル地帯といってもよいので土地は元海だった塩加減が良く効いているため農作物は育ちにくい。
そこで布や日用品を作り物々交換で食料を手に入れたのだ。
これらの民芸品は年季が入っているから実に素晴らしい!(インダス文明の血を引いているかもしれないのだから)
というインダス川は現在はパキスタン側に移動している。
インダス川の源流はチベット(現中国)である。
そしてインドのラダックを通ってインド実効支配地からパキスタン実効支配地を流れパキスタンの北から南へと縦断している。
インダス川の上流と過去の下流を旅したといえるのかもしれない。



今回は9月の終わりから10月のはじめと時期ということもあり収穫後の一番の安らぎを迎える時期と重なったので小さなお祭り(ブジー)や大きなお祭り(アーメダバード)にラダックでは披露宴(ストク)に飛び込みで入れてもらうなど思いがけない人々の喜びを見た。

 今回 最初に訪ねたブジーは北回帰線(太陽が夏至に通る緯度23.26度)よりほんの少し南側でさらに乾期の時期の始まりだからインドの内陸気温が下がりといっても暑い乾いた風がアラビア海に向かって流れ込むということで気温が下がったといっても30度以上でアーメダバードはさらに南で内陸なので夜でも暑くAC(エアコン)付きの部屋を確保はした(ブジーもAC付き)。
ホテルはおかげで快適だったが外の暑さは厳しかった。
アーメダバードからデリーは経由したが一気に北緯34度標高3500mのレーに飛んだ。
ここの夜は10度を割る寒さが待っていた。
日中の紫外線は太陽の刺すようなヒリヒリ感が感じられる強さである。
空は紺碧で宇宙の色をしている。
私が滞在した7日間は終わりに訪ねたストナ(悦子さんハウス)でウロコ雲を目撃したがそのウロコ雲もストナの標高3650mでは一辺が巨大であり手が届きそうでもありウロコから水蒸気が垂れ下がるのが肉眼ではっきりとわかるには驚いた。
そのウロコ雲が前触れで最後の日が前線が近づき天候が悪化したがJetAirwayの航空機は2時間遅れでもデリーに帰ってこれたのはラッキーだったと思う。
ということでラダック滞在中は紺碧の空と強力な紫外線が日中ではTシャツでも外を歩けるが夜は防寒ジャンバーで寒さをしのぐという一日に夏と冬を経験する日々を送った。
スクーターでの移動では気温は低いのでヘルメットで目の部分だけだし冬用ジャンバーと冬用ユニクロの二枚重ねのズボン、下着はヒートティックを着用して冷たい風をしのいでいた。
悦子さんハウスは布団だったので温かく眠れたが他のゲストハウスは厚手の毛布だったのでダブルの毛布を2つ折りにもう1枚をその上にかけて寒さをしのいだ。

 福岡と同緯度だけど3500mの高地のラダックはまったく違う顔を見せる。
着いた次の朝、風邪の症状が現れたと思って風邪薬を飲んだがこれは高山病の前触れだったと思う。
あの暑いグジャラート(ブジーやアーメダバードの地方のこと)から一気に3500mの寒いらラダックに来たのだから風邪になってもおかしくないとも考えた。
無理な行動を控えて水分を多くとって風邪薬もしっかり飲んではいたがインダス川を下って行って月の世界のラマユルでは快調だったので少し高度が下がったのでといっても山の上なので同じぐらいかもしれないが気分は良くなった。
ただゴンパは山の上にあり階段を何段ものぼると酸素不足ですぐに息切れがする。
マラソンランナーの高地トレーニングは過酷だろうと。

 ラダックは初めの目的地のヌブラナ渓谷には行けなかったがスクーターのおかげで自由を得て目的以上の成果を上げたと思っている。
このスクーターはボロボロで走り込んでいて傷だらけだったけれどラマユルの月の世界の崖の峠や砂利というよりと砕いた岩の亀裂の上を小さなタイヤで乗り越えてよく走り大きなトラブルにも会わずにレンタルバイク屋に返せたということはラッキーだったのかもしれない。
それにしても転倒しても傷だらけでどこが傷ついたのかわからないというバイクではあったがよく走ってくれた。

 人々は過酷な環境の中でもたくましく生きている。
カッチでは塩分が多く農作物が取れない環境の中でもラクダやヤギや水牛を少しの草を求めて移動しながら生活し、あるいは鏡を縫い込んだ刺繍や天然素材を使った染物や金属加工のベルなど作り少しの収入を得てたくましく生きている。
人々はこの厳しい自然と向き合って生きてきてこれからも同じように生きていくのだろう。
ラダックだって高度が下がるといっても3500m前後が作物を作る限界点なのかもしれないがインダス川の支流の水を農地に引き込んで寒さに強い作物を育てている。
まわりにポプラの木を植えて風よけとし山の上のゴンパから見るとそれらが猫の額のように小さく散らばっていてオアシスを形成している。
側道を入ると村では住まいの上に藁を積み上げて冬の準備をし始めていた。
厳しい冬がもうすぐ始まる。人々はその冬を耐えて生き抜かなくてはいけない。
もう、何百年とその繰り返しの生活を重ねてきた自信にあふれてはいるが冬の話をすると農家も商人も旅行会社も一応に暗い。
停電だって何日も続くという。水汲みだって氷を割ってからでなくてはくみ出せないのだ。動物のフンさえも乾燥させ暖房の燃料にし冬を乗り切るのだ。
交通機関も遮断される冬。川が凍って道の変わりになるという。
だから収穫後の秋にはグジャラートでもラダックでも喜びをいっぱいに表現するのだろう。



この馬たちはすでに野生化しているとドライバーのパップは言っていた。


塩分を多量に含んでいるため放牧している牛やラクダやヤギの草は限られている。
地平線がどこまでも続く。この作物の育たない地でも人は生きているのだ。


ラダックの村(オワシスといってよいのか?)峠を下るとインダス川の支流にポプラ並木と刈り取ったばかりの畑と村の護り尊のゴンパが現れる。


秋の収穫の喜びを表しているのだろう イスラムのモーラン祭り 昼は子供たちが太鼓をたたき夜は青年たちが太鼓をたたきまくっていた。


ムスリムの家族 お母さんにみんな似ていて 楽しい家族だった。


ラダック・ストナの披露宴 ラダックの民族衣装でばっちりと決めているでしょう? めったに見られないよ!


祝い唄を声楽隊が唄う 太鼓と笛とドラの楽隊の音に誘われてここ導かれてきたのだ。


アーメダバードのモーラン祭りでムスリムの人と私の写真 祭りの輪の中では楽しく愉快に何もかも忘れて・・

 ここまで書いてすっかり変わった自分がいるのに気が付いた。
インドではお酒を全くといっていいほど飲んでいない。
大麦のドブロク(チャン)を3口味見しただけである。
その代わり果物は食べまくっていた。
バナナにリンゴ、マンゴウに釈迦頭(シャカトウ)、かんきつジュースにいちじくジュース、さとうきびジュースも飲んだ。
いつもはもう帰りだといって空港や乗り換えの空港(上海)ではビールをガブガブ飲むのだが今回は飲む気にもならない。
飛行機の中でもコーラーやティーに粉ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいた。
そしてスーに旅の報告という形で会ってもビールを飲む気にならないのだ。
ブドウジュース入りの薄めた焼酎入りを飲んだがスーがいつも飲む芋焼酎のお湯割りを飲まないのか?
というので頼んで飲んだがおいしいとは思わない。
あれ?体質が変わってしまってお酒は飲まなくてもよくなったのかもしれない。
家でも甘めの葡萄酒を少し飲んだらもういいやと
なぜか身体の調子がすごくよくなっているのです。
いや~~~不思議です。

メニューに    ホームページへ