バングラディッシュの旅が終わる
2011/11/27
ダッカの街は道路もビルもいたるところで工事が進んでいる。
この工事が渋滞に拍車をかけている。
道路信号もダッカでは時々目にするが作動しているのかあってもないごとくで警官が交通整理をしている。
これが地方に行くと道路信号は全く見当たらなくなる。
大きな道路の交差点はローターリーになっているので信号は必要ないがここバングラディシュでもインドと同じでクラクションの鳴らないバイクや車には乗れない。
バングラディシュでもクラクションを鳴らすということは「俺はここにいる」という合図なのであり道を譲れという合図でもあり歩行者はどけろという合図でもありなのでクラクションの壊れた車は運転してはいけないのだ。
ラダックのバイク屋の若旦那がとにかくクラクションは鳴らせと外人(日本人やヨーロッパ人)はちっとも鳴らさない!と私に何度もいっていた。
クルナからモングラまでハリムの運転するトヨタで2時間も走ってきたがハイウェイといえる道路は10分ぐらい走ったがあとの区間は穴ぼこだらけの舗装道路であり砂利道であり工事のための迂回道路であり舗装工事を見てみると日本では2度にわたりアスファルトを敷き詰めているがバングラディッシュでは1度に厚く敷き詰めていた。
これでは強度は保てないのではなかろうか?
バングラディッシュの人たちは旅人が珍しいのだ。
ダッカでも「こんにちは」と声がかかることがある。
バングラディッシュから出稼ぎに海外に出ている人はとても多いらしい。
そういえばクワランプールの「YY38ホテル」のボーイがバングラディッシュから出稼ぎに来ているといっていた。
日本にもずいぶんバングラディッシュから来ているのだろう。
9:30にホテル71の1階レストランで朝飯を食べてきた。
これから帰る準備に取り掛かる。
PM6:00までにチェックアウトをする予定だ。
たぶん追加料金は取られるだろう。
駅から列車で空港に行くか?
トクトクで空港に行くか?
ともあれ9時までには空港に行けば中国南方航空の広州行きには乗れるだろう。
明日のPM 2時には羽田空港に着いているはずだ。
トラブルだらけのバングラディッシュの旅だったが私には旅をしているという実感がいつもの旅以上に残っている。
これから5年先のバングラディッシュはどんなに変わっているのだろう?
でも人々のやさしさと温かさは永遠に続いてほしい。
バングラディッシュで出会った人たちと再び会えることを楽しみにしてバングラディッシュの旅日記を終わります。
モングラの船着き場 対岸がはるか向こう ガンジス川の支流でもある
電動リキシャ 地方ではバッテリーとモーターを組み合わせたリキシャが主流になってきた
ダッカではリキシャマンの汗を見ると無理しなくといいよという気持ちになっていた
バングラディッシュも小さなところでも変わり始めているのだろう。