トルコの旅(後書き)

2016年7月7日

 トルコの旅の費用 

金額は円 残金現金は大雑把ですが円に換算しました。
(イスタンブール空港でリラから円の両替は率が悪く率の良いドルにリラを換えた)また旅をするつもりなんだ
50リラは空港で予測できないことがあった時の保険のための現地通貨

 イスタンブール(ヨーロッパ圏の価格)の滞在が長くカッパドギアで熱気球(380リラ約13000円)も入ったので20万円を超えてしまったが今回の旅行はケチケチとした感じはなくレストランでの食事も多い。イズミルが安宿だっただけで他の街の宿は私の泊まる宿としては水準が高い(やばい!もう10ドル以下の宿には泊まれないかも?)トルコの雰囲気も身近に感じられ思いで深い旅になった。

 今回のトルコの旅で一番強く感じたことは地球は小さい星なのだということだった。
私が小学生時代の地球はとてつもなく大きくて北海道の北の大地の開拓地の火の見やぐらに登って遠くに見える大雪山のその向こうに札幌があり東京はいったいどのくらい遠くにあるのだろうと想像していた。
この開拓地は海抜600mの高台の高原だったので真冬のある日に北の空が赤く燃え山が赤く染まってそれがオーロラだと知ったとき北極圏への道のりを想像してこの大地の向こうにオーロラの輝く国があると夢見ていた記憶がある。

 エアフロートロシアの機内からシベリアが手に取るように見えている。
広大なツンドラの大地が小満(24節気で梅雨に入るころ)を過ぎているというのに氷の大地が広がっている。
10時間の空の旅で6時間の時差ができる。
成田発AM12時(日本時間) モスクワ着PM4時(現地時間)で地球の自転に逆らって昼の世界を飛んできて帰りはモスクワ発 現地時間PM7時 飛行機は成田着は日本時間AM10時で地球の自転とともに夜の世界を飛んできた(ただし白夜ですが)。
地球は小さくて太陽の周りをまわる惑星だな〜と実感した。

 バックパッカーを最初に始めたのは2014年だから56歳かな インド旅行が初めだった。
企画された旅行と違いすべてを自分で作り上げていく旅の醍醐味にはまってしまった.
飛行機の手配、ヴィザの申請、国の概要と習慣、危険度の高い地域、おおよそのルートなどなどを調べ手配しなければならない。
初めの日に泊まる宿も手配していると楽だ。でも外務省の危険地域リストではインドは今でも黄色です。
インドは友人の友達もいてずいぶんお世話になったけれど一人旅の面白さを初めて味わった。
人は一人旅は危険では?とよく言うけれど2人で行動すると相方が見てくれるだろうという相互の思惑が結構落とし穴にはまる。
英語のアナウンスも相手が聞いているものだとお互いに思ってしまって聞き漏らして慌てたことも何度もある。
荷物も相方が見ていると思って失ったりと結構失敗は多いのだ。
一人旅では心構えが違うので意外とミスはしない。
そして相方に気を使うこともないので体調も一人旅のほうが維持しやすい(疲れたらその町に気兼ねなく留まるだけだし)。
ただ、食事は2人のほうがいいな〜分け合っていろいろな料理を味わえるし宿も2人だと半額(一部屋いくらが多い)で済むから2人旅のメリットも多いが今回も一人旅でバックを担いでトルコの各地を回ってきました。


(トルコの下町はこんな感じです イズミル)

 トルコの歴史は古代文明の発祥のインダス文明の地でもあり古代ギリシャとペルシャさらにアルクサンダー(十字軍遠征)の戦いの地でもあり歴史好きにはたまらない魅力の国です。
オスマン帝国と東ローマ帝国コンスタンチノーブル(イスタンブール)の戦いはまさに手に取るように戦乱の後を見ることができる。
トルコは広大な農地を持つ農業国ですがカッパドギアや地中海沿岸の避暑地が多数あり(代表はアンタルヤかな)ヨーロッパの避暑地として人気あり歴史のイスタンブールも人気がある観光立国でもある。
 私が行く少し前にロシアの戦闘機をトルコ軍が撃墜しロシアと険悪な関係になっていてロシアからの観光客は激減しているようだった。
特にトラブゾン(黒海沿岸)は同じく黒海沿岸のロシアのソチとフェリーが行き来していてロシア人ご用達の街なのにロシア人は見かけなかった。
シリアとの国境付近もイラクの国境付近も宿屋のおやじが行くなと私に何度もいっていた。
クルド人の領域も行くなといわれたが世界一人旅をしていた日本人は危険はなかったし親切でフレンドリーだといっていた。
初めの予定ではトラブゾンから国境越えバスでクルジアに行きバトウミ(国境の街)でイランヴィザを取得しアルメニア→イランのテヘランから国際寝台列車でカイセリ(カッパドギア)→イスタンブール→日本と企画していたのですが・・・・・。
 イスタンブールの宿のTVニュースが戦乱の映像をさかんに流している(シリア国境付近とイラク)クルドの戦士の戦場の映像も流している。
AIU海外旅行保険ではイランは該当しないこともあり今回のルートをトルコ国内に変更した。
このことは本当のトルコを見ることができてよかったと今は感じている。
特にコンヤ(トルコの南西部はずれの)ではメヴァラナ教団の拠点のメヴァラナに宿を取ったことはメヴァラナを通してイスラムの実態を感じ取れてトルコ人気質もこの町を通してトルコ人の生活をまじかに見た感じがした。
この町の人は観光客が少ないせいか日本人の私に街の人々は興味津々で親父から子供まで声を掛けられて楽しい思いでが特に多い。
食べ物も現地の値段でコンヤのうまい料理が食べられてビールも飲めなかったのに滞在が長くなった原因でもある。

(コンヤの子供たち)
ブルサ(イスタンブールに近い)もトルコを感じた。
たぶんジャミー(イスラム神院)とバザールの近くの繁華街に宿を取ったからだと思う。
今回の宿もその町の一番賑やかと思われる繁華街に宿を取るようにした。
ただし、イスタンブールは旧市街のスルタンアフメットというブルーモスクやトプカプ宮殿、グランドバザールなど歩いて行ける宿だし、カッパドギアも中心地のギョレメ(村に近い)の宿にしたけれで観光が主な街なので物価も高いがビールやワインはどこの食堂でも昼間から飲めるというイスラム色の薄い世界で、驚いたことに韓国の若者が中国人よりも多く日本人はほとんどいないという。韓国の若者には今はトルコが人気の国なのだろう。
中国の人たちは集団の団体旅行が主ですが韓国の若者は小さなグループが多く、女性の一人旅もかなり見かけました。
一人旅の日本人としては隣の国の韓国人は旅先ではとても心強くヨーロッパの人たちの中に韓国の人を見つけるとほっとしたりする。
不思議に思うことはその国独自に人気のスポットが違っていたり韓国には韓国の地球の歩き方がありおすすめポイントも違っているらしい。
それは中国でも同じようでコンヤで大きな団体客が来たのには驚いた。

(黄色の旗を先頭に大集団が大きな声で通り過ぎていく メヴァラナ コンヤ)
その団体客がメヴァラナ教団のセマーの会場を埋めていたから(途中で帰ったけれど)中国ではコンヤが意外な人気スポットなのかもしれない。

(メヴァラナ文化会館でのセマー)

トルコは道路網は完璧といえるぐらいしっかりと整備されて広大な大地を縦横無尽に大型トレーラーが行き来している。
800Kmを休憩時間を入れても8時間でバスは走りきる。時速100Km以上の速度で走っているのです。

(田舎では片側2車線だが交通量が増えると片側3車線で直線が多いのでスピードも出るはず)
フリーボートも湖や湾を自在に行き来して車を大量に運んでいる。湖や湾も国道なのでしょう。
鉄道もワン湖はフェリーで渡るのでテヘラン(イラン)からアンカラ(トルコの首都)の国際列車はフェーリーに乗り換えるらしい。

 ともあれ老人の一人旅では避けたい夜間移動もトルコではトラブゾン(黒海沿岸の街)からネッシュビル(カッパドギアの中心の村)までの深夜バスとコンヤからイズミルまでは鉄道寝台列車で移動した。
今になって考えるとバスでの夜間移動はかなり疲れたと思う。
バスでの夜間移動は70歳になった今後は控えるようにしたいというより特別な事情以外は禁止します。
今回のコンヤ→イズミルの夜行寝台列車はこちらは特別2人ルームを独占できたので疲れは感じませんでしたが今後は考えたほうが良いかもしれない。

 トルコの食事はうまい!
 タイの人に世界の三大料理はと尋ねるとフランス料理に中華料理で最後はタイ料理といい、韓国で世界の三大料理はと尋ねるとフランス料理に中華料理で最後に韓国料理という。
トルコも同じくフランス料理に中華料理で最後はトルコ料理とトルコの人は自信をもっていいます。

 宿屋の朝飯はどこでもテーブルに並んでいたものはチーズ(3〜5種類)とハム(2〜3種類)オリーブの実(2〜3種類)ゆで卵、ジャム類(最低でも5種類ぐらいあり)野菜は定番でトマトときゅうり。そして紅茶。パンも2種類以上はあり。
宿により煮込み料理やヨーグルトにレンズマメのスープや紅茶がティーパックでいろいろな種類が置いてあったりジュースサーバーがあったり本当に朝食はおいしくいただけた。


ハルモニ―ホテルの食堂 右側奥はジュースサーバー 上の段はオリーブのピクルスや煮物、中段は野菜とスープ、下段はチーズとハム
パンは4種類ぐらいでケーキもあり、その隣はフレークで下はジャム類 ステンレスの容器はゆで卵保温器 その隣に紅茶サーバーと紅茶ブランドのティーパックが多数という感じです。


私が選んだハルモニーホテルの朝食 あれ?チーズを食べ忘れている



トラブゾンのEFEホテルの食堂 ここが一般的なのかも?ただし品数が少ない 一番奥が紅茶サーバーでトルコの紅茶は濃い紅茶とお湯の蛇口が2つあり濃い紅茶をお湯で薄めて飲むのが一般的


ブルサのホテルの食堂 


器に入っているのはヨーグルトで豆腐のように見えるのはチーズ (ブルサ)


チューリップホテル(イスタンブール)桃は丸ごと1個 右隣はオリーブの実で種類が多い


ヨーグルトにあんずジャムをたっぷりかけて パンにはちみつをつけるのがおいしい(チューリップホテル)


朝食をしっかり食べると街の食堂で出される1品の量が多くさらにパンも食べ放題なので昼食はゴマパンとアイラン(塩入ヨーグルトドリンク)か屋台のゆでトウモロコシと水分補給にしぼりたてジュースで夕方まで過ごせるので1日2食の日が多かった。
アイスクリーム(私はバニラばかり)も日本ではほとんど食べないのにトルコではなぜかよく食べていた。
農業国で牧畜も盛んなので乳製品は濃くておいしい。

トルコといえばカバブ(串焼きの肉) 鶏肉の串焼き (ブルサ)


カバブ マトン トマトに串刺し 焼き立てはうまいが脂がのりすぎで食べきれなかった (イズミル)


コンヤ(マトンの下にはチーズがとろけてその下にパンがスープに浸されて コンヤの名物料理かな)


ドルネカバブ 日本でもおなじみでガスコンロで回しながら焼く方法 切り取った肉をパンにトマトと野菜をトッピングして おいしい


こちらはピラフとスープ(レンズマメ)と鶏肉のケバブ 


ピザ窯で焼く方法 こちらの方法では焼き立てのパンも食べられる


イカリングにひき肉や香味料をブドウの葉でまいた冷たい食べ物(ドルマス) イスタンブール


骨付きマトン カッパドギア ビールも飲んだので高かった記憶がでも骨付きうまし!


こちらはピザ窯で焼いた鶏肉は柔らかくって最高にうまい(コンヤ)


コンヤの名物 エキメッキ(ピザ) マトンのひき肉を載せて焼いたピザ 香味料とパクチーを挟んで食べる うまいよ!


トラブゾン(黒海沿岸の街)のカタクチイワシフライ 日本人だね〜うまく感じます


トラブゾン名物の人の顔ぐらい大きいパン


このパンはどうやって食べるのだろう(一人では食いきれないことだけは確か)

 パンはどこで食べてもおいしい。
パンがまずいとお客が来ないのかもしれない(日本のコメと同じで)。
トルコの人の収入は平均で200〜250万(年収)らしい。
農産物は輸出する国なので野菜や肉は量り売りと安いのでしょう。
ただしイスタンブールと観光地を除いてです。
 イズミルで昼食をレストランで食べていると中年のサラリーマンの紳士が食事に来てスープだけを注文してパンを食べまくっていました。
どこの食堂に行っても2品頼む人は珍しいくらいで食事はパンをたらふく食べて終わりという人が多いです。
スープ1つを頼んでも付け合わせの野菜はたっぷりついてきますからあとはパンを食べればいいという感じなのでしょう。
だから1品の量も多くなるのかもしれません。
 味付けは少し薄いと感じます。
食事に来ている人を見てみると食塩をふりかけ唐辛子やコショウで味を自分好みにして食べています。
日本ではラーメンか蕎麦にはコショウや唐辛子を少々振りかけるぐらいですがアジアでもトルコでも人々はかなりたっぷり振りかけていました。
私も真似して後半では振りかけていましたがやはりおいしくなると感じます。
日本だけが塩味が濃いのでしょうか?
健康jを考えると濃い味になれるのは老年期には慢性疾患を持つ原因を作るようで怖いですね
塩分控えめのうす味に子供のころからなれるようにする必要ありと70歳になった老人バックパッカーは思いました。

 今回も乗り物はトラム(路面電車) メトロ(地下鉄) 連絡船 クルーズ船 登山電車(地下鉄か登山電車?イスタンブール) ロープウェイ(イスタンブール) ケーブルカー(イスタンブール) チンチン電車(イスタンブール) 夜行バス(トラブゾン→ネッシュビル) ドルシェム(乗合自動車) 寝台列車(コンヤ→イズミル) 極めつけは熱気球(カッパドギア)と多彩な乗り物にこれでもかと乗ってきた。

イスタンブールの新市街を走るチンチン電車


カッパドギアで熱気球



2016/6/28 イスタンブール(アタクチェル国際空港)で自爆テロ 43人が犠牲に200名以上が負傷

2016/7/1 バングラディッシュのダッカでテロ 日本人7名含む20名が犠牲のニュースが入る

私はイスタンブール(アタクチェル国際空港)に5月24日の1時から7時過ぎまで6時間以上夜明けを待って待機していた。
6月14日は夕方18時くらいから翌日1:55出発までアタクチェル国際空港にいたので巻き添えでなくなった人々に哀悼をささげます。
12時間近く空港に待機していた私は運が良かったのでしょう。

テロの声を聴くたびにイスラム難民を排除せよと世界は盛り上がる。
イギリスがEUの脱退の一つの原因でもある。
でもその原因を彼らが作ったわけではない。

格国のリーダーは経済の発展が国民を幸せに導く近道と経団連を引き連れてセールスに走る。
国民も製品の開発に生産性を上げよと走り回っている。
波に乗った一握りの連中は巨万の富を得て大部分の連中は安い賃金で長時間労働に駆り出されて子供の教育もままならない時代になった。
経済の発展が地球を食い散らかしている。
旅をして見るのははげ山と掘り出された穴ぼこと汚染された水とごみの山だ(前回のアジア)。
太陽だって肉眼で見れるぐらい汚れた空気の都会はすぐそばにある。
私たちは未来の子供たちにこんな地球にしてしまってなんて謝ればよいのだろう

風の谷のナウシカの世界が現実になってきたのでは?と思わずにはいられない

トルコの旅を終わってもっと気楽に無理しないでのんびりと生活できる世界にしてほしいと願わずにはいられません。

あ〜旅も終わってパソコンをにらんで「あ〜でもない、こ〜でもない」という現実が始まりました。
あ!父からお呼びが?今日のドライブはどこへ連れて行こうかな?

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