2019/8/7

 中国の雲南省の省都の昆明に入り古都の麗江からタイ族の景洪よりバスにて陸路国境を越えてラオスのに入ったの2018年4月20日だった。

 旅のルートは2018/4/13成田空港から雲南省の昆明 4/15昆明から麗江(水の古都) 4/19景洪 国際バスにて陸路国境を越えてラオス入国しルアンババーン 4/25ルアンババーンからパクセーに飛ぶ予定だったがアクシデント発生でビエンチャン泊パクセーとなる 4/28ベトナムのホーチミン 4/29タイのバンコック 4/30成田空港 17日間の旅だった。

 2018/4/13真夜中の昆明の空港に降り立った私はagodaで予約した駅前ホテルにどうやって行こうかと悩んでいたが何の心配もなくタクシーに乗り明るく照らされた高速道路を快速に走り昆明の町の中にあっという間に到着した。
真夜中にもかかわらず町は明るく一部の商店は店を開き営業している。
メールでは真夜中に着くとはホテルに送信したが?
安ホテルのフロントマンも愛想よく迎えてくれたことに本当にびっくりした。
真夜中の昆明の町の明るさと活気にアジアの地方の町と同じだろうと思っていた私の最初の驚きだった。
昆明の町の巨大さにも町の人々の活気にも音もなく走り回る電動バイクにも いたるところにあるレンタル自転車にも・・・。
でも最も驚いたのは老人たちの輝きだった。
町の公園には老人たちが中心になってブラスバンド演奏に民族楽器の競演や少数民族の踊りにダンスに太極拳にと老いを楽しんでいるのだ。
公園のベンチではおばあさんがスマホで何かを調べている。
老人が携帯電話ではなくスマホなのだ!
屋台の支払いも中国はスマホの時代だからタクシーだってスマホで呼ぶのだからスマホがなけれな生活が成り立たなくなっている。

 この中国のはずれの雲南省でも昆明は夜も眠らない大都会で地下鉄が縦横に走り北京や上海からあらゆるところに交通網が張り巡らされそのほとんどが高速道路と高鉄(新幹線)なのだから人々は自信にあふれている。
今や世界第2位の経済大国がこの中国なのだということ大連を父と尋ねた時よりも強く実感した。

 この旅には同行者スー(友人)を連れている。
2人のほうが何かと便利で食事も違う料理を分け合えば1度の食事で2つの味を楽しめる。
宿代も2人で割れば半額、タクシー代も同じく半額ですむから節約にもなるという予定だった。
ただし、それはラオスのルアンババーンまでだった。
あまりの暑さに屋台の食事で思わずビールを頼んでしまってからはビールのうまさに目覚めてしまって・・・・・・
2017年のインドの旅でせっかく断酒を実現したのに ついにこのおきてを破ってしまった。
私は老人ではあるがバックパッカーなので宿も10ドル~20ドルぐらいで食事も1ドルぐらいの旅なのでビール代は思わむ出費になるのだ。
1食100円ぐらいのご飯代より320ミリリットルの缶ビールのほうが高いから・・・・

 景洪はシーサンパンナといわれるタイ族自治州の町で山岳地帯の複雑な地形でミャンマー、ベトナムの国境が間近でその国境線も入り組んでいるということは山が重なり合っているためだろう。
この山岳地帯には多くの少数民族が暮らしているところでもある。
 以前2015年のメコン川スローボートの旅でタイのチェンマイのバスストップで偶然会った沖縄のご夫婦がラオスで山の民と生活を共にした話を聞いたことがある。
水道もガスも電気もない生活。
ニワトリの鳴き声で起きて火をおこし水を汲んできて朝飯の支度をする。
素朴で素材の味だけの飯がなぜうまいと2人はいう。
夕暮れと共に寝る生活も試してみるといいもんだと私にいう。
この時2人はこれからバスでタチクレ(タイ国境の町)からミャンマーに入るといっていた。
 景洪から国境バスの乗客は15人ぐらいだったと思う。
道路からの眺めは高速道路と高鉄(新幹線)の工事があちこちに見られた。
(景洪からラオス国境まで全線高速道路が開通していないため)
中国は本気でラオスからタイを経由してマレーシアまで鉄路を広げようとしているのだろう。
標高4000メートル近くを通る青海チベット鉄道をラサまで通した中国の力だから中国共産党の夢も近い将来実現するのだろう。
北京から網の目のように世界へつながる始まりの槌音をバスの中から見つめていた。
(2019年1月のマレー半島縦断列車旅でもラオスのビエンチャンまでの鉄路拡張工事がすでに始まっていたから意外と早く鉄路で北京からシンガポールまで簡単にけるようになるかもしれない)

国境バスでの通関はあっけなく中国を出国できラオス入国もビザも不要で拍子抜けするほど簡単に入国できた。
陸路の国境通過は空港での手荷物検査から始まり身体検査に比べて今までの経験からかなりルーズだと思う。
読者の皆さんもぜひ経験してください。
ドラえもんのどこでもドアが陸路国境にはある(全く感じないと時もあるけれど)。
中国からラオスもドラエモンドアで都会から田舎に放り出されたと感じます。
でも、なぜかホッとする空気がラオスには漂っていて一気に肩の力が抜けたようならくちんさを感じるのですよ。

ラオス通関のトラックが荷物を満載して巨大な赤土の広場を埋め尽くしていたからトラックの通関は時間がかかるのだろう。

 ラオスに入るとバスのスピードもガクッと落ちる。
山間の道は山の形状に合わせてクネクネと曲がり続ける。
川があれば谷を下り川幅の狭いところまで下りて橋を渡り、山があれば曲がりくねりながら峠まで登って尾根を渡りだから道も狭いし時間がかかる。
当然というように峠を迂回するトンネルは一ヵ所もなかった。
ということは自然が間近に見えて少数民族の軒先を通り抜け人々の生活が垣間見れるという面白さがある。
ただし、疲れますバスの旅は・・・・。
 朝7時から国境までは2時間程度で着いたと思うがそれからは延々と曲がりくねった道を進んでルアンババーンに着いたのは夜暗くなってからだった。
agodaで確保した宿はナイトマーケット(繁華街)だったので部屋は狭く価格も高かったせいだと思う。
疲れていてやっとの思いで転がり込んだ部屋でスーとちいさなトラブルが、今となっては原因はよくわからないが疲れていて何かがはじけたのだろう宿を変えることにした。
次の日、ナイトマーケットには10分以内の場所で赤十字サウナは5分以内の立地の安宿だったがウエルカム・フルーツをたっぷりいただいただけで満足する2人だったが朝食にもたっぷりのフルーツが付くこの宿屋に2人とも満足した。
 宿のマネージャーも従業員も頼りがいがありバイクをレンタルすることにした。

 ラダック(インドカシミール)をバイクで走ってその自由度と開放感にとりこになっていた。
ラオスでも挑戦しようとスーにも国際免許を取得したもらってきていた。
バイクの初日はルアンババーン近郊の観光地のクワンシーの滝までツーリングをした。

クワンシーの滝までR13号線を走る。

 ルアンババーンの町を過ぎ5kmも走るとグッと交通量が減り快適なツーリングを楽しめる。
車は右側通行だがそんなに難しくはなく交差点とロータリーで多少戸惑いはするがすぐになれる。
何といっても自由を得た猫のように好き勝手に行動できる。

 

2018/4/23
 ラオスは仏教の国でもある。
朝の5時ごろから托鉢が始まる。
黄色の袈裟をかけたお坊さんたちが町を巡回する。
町民はおひつやお供え物をもって道端に座って坊さんが来るのを待ち受ける。
おひつには蒸したもち米が入っていて坊さんが来ると指で丸めて托鉢の鉢に入れる。
行列で来る坊さんに次々に指で丸めてはポンと入れるのだ。
観光客には人気で托鉢を見に早朝からカメラやスマホを手に大勢が集まってくる。

この動画がラオスの人の托鉢の仕方です

 宿の従業員と話しているとパクオウというところはメコン川とナムオウ川が合流するところでナムオウ川の水はきれいで景色が良いところらしいという。
彼は行ったことがないらしいがバイクでも行けるという。
GoogleMapで確認するとラオスの暑さにも耐えれる半日ツーリングで宿まで帰ってこれそうなので早速出かけることにした。
国道からパクオウの道路標識に従って側道に入ると舗装道路から赤土のラフな道路に変わった。
途中は工事中でダンプカーが走り回っていたのでこの道路も曲がりくねった道路から一本道の舗装道路に変わるのだと思う。


こんな道路を進んでいく

メコン川とパクオウ川の合流地点の船の渡し場に来た。


パクオウの渡し場 対面に見える岩山がパクオウ洞窟(パクー洞窟とガイドブックには書いある)
正面の船は日本でいえば屋形船(船のレストラン)でルアンババーンからスローボートで来るパクオウ洞窟観光の客を待ち受けている。

バイクを止めて渡しに降りると渡し船が出発の準備をしていた。
すでに乗客が3人乗っていた。
小さな女の子たちで三姉妹だった。
一番上の子がお供えするご飯(蒸したもち米)の入ったお鉢を抱えている。
一番下の子が日傘で2人を太陽から守っている。
その姿が愛らしい。

ナムオウ川の水の色は透明度が高い


メコン川の流れは速く色は泥色だ (正面がパクオウ洞窟の入り口)


この階段を息切れするぐらい登ると地元の人たちのお参りする洞窟がある。
観光客はこの階段の下にある観光用の洞窟を見て帰る。
東南アジアでは子供たちの声がどこでも子供たちにどこでも会えるのが日本とは違うところ。
昔の忘れ去った日本が東南アジアにはある。

 息切れして階段を登った先の洞窟

三姉妹と一緒にお参りをする。


洞窟の小さな仏様


三姉妹は持参した懐中電灯で


しっかり者のお姉ちゃんと次女


かわいい末娘

三姉妹はまだお祈りをささげていた。

階段を下りて観光客が集まるパクオウ洞窟


明るく、広く、まばゆい


観光客を乗せてスローボートが接岸する
ヨーロッパの人々には人気の場所でもある

メコン川の渡し船より

 仏教と共に生きるラオスの人々。
この子たちだけではなく村の人も町の人も子供も大人も男も女もみんなが仏教と共に歩んでいる。
私が小学生のころ父の母(ばあちゃん)にお寺に連れて行かれ帰り道でお菓子を買ってくれたことを思い出す。
朝起きると線香のにおい仏壇にご飯をお供えしてから家族で食卓を囲む、それがごくありふれた60年前の一般家庭の世界だった。
時代とともに薄れ忘れさった日本の懐かしい生活スタイルがラオスには息づいている。
あの三姉妹もお母さんやお父さん、おばあちゃんやおじいちゃんの代わりにお参りに来ているのだろう。
朝の托鉢やお坊さんに対するラオスの人々の尊敬する態度は遠く忘れ去った日本の姿なのだ。


ルアンババーンの宿の近くの夕刻のお寺 よくイベントをしている 若者も子供たちもお祭りの雰囲気だ。
昔の日本のお寺の境内も子供たちの遊び場だったことを思い出していた。

 ラオスに入るとホッとするのはさらに人々の体型と顔が日本人に良く似ているのだ。
旅日記にも書いたが托鉢する少年僧に野球のユニホームを着せると高校球児と区別できないと思うほど似ている。
同じ仏教国のタイの人たちとは違う雰囲気がある。
前回のマレー半島縦走列車の旅で北に上がるほど顔かたちが日本人に似てくることを実感した。
明らかにマレー人からタイ人そしてラオス人という分類はできないけれど長い時間を経てゆっくりと交わり我々の祖先のルーツがこのラオスにもあるような気がする。


写真では見にくいかもしれない赤ちゃんの蒙古斑

メコン川スローボートの旅でラオスの赤ちゃんのお尻に蒙古斑を見た時からその思いは強くなった。

ラオスは忘れていた日本の心の旅だった。

この次にもう少しラオスを書く予定です。

この旅は旅日記  雲南省とラオスを参照してください。

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