越えられない国境

2020/9/23

 宿を出た時から突風が吹き2月の冷たい雨が降っている。
バスの窓ガラスは冷たさで曇り冷たいガラスに手を当てこすってもすぐに水滴で曇る。
イムジン川が見えたもうすぐ危険地帯に入るはずだ。

 今から50年も昔の話になるが私は友人と彼の車で下関から関釜フェリーに乗り韓国に来たことがある。
かなりの冒険だったが若さ(当時24歳)で韓国を走り回った。
私たちは無謀にも北朝鮮国境に向かいいけるところまで車で行こうとソウルを出発したがイムジン川にかかる自由の橋のチェックポイントで国連軍の兵士に追い返された。

 時は2009年2月私がソウルに来たのは木浦(モクポ)にある共生園という孤児院を訪ねるためだった。
可能であれば閉ざされた国境北朝鮮と国連軍が管理している軍事境界線の板門店を訪ねたいという思いもあった。
日本出国前にネットで大韓旅行社に個人で板門店ツアーの予約を入れて確認もせずにソウルに来ていたがロッテホテル内にある大韓旅行社に早朝出向くと今朝の出発リストに名前が載っていてパスポート提出と77,000ウオン(約7,000円)支払いでツアー参加することができた。
 大韓旅行社のホームページにはツアー参加の服装や持ち物についての注意事項が書いてありミニスカートやサンダルや派手な服装はツアー参加できないと書いたあったが荒れた冬の天気では参加者は防寒装備で拒否される人はいなかった。
 前方席には欧米系参加者に英語ガイドが乗り後方席は日本人参加者が日本語ガイドの説明を聞く。
この日は日本人ツアーのほうが多かった。
 木浦の共生園で愛羅(エラ)園長から日本語で朝鮮動乱の時は園長の両親(お母さんは日本人)が戦乱で犠牲になって逃げ延びてきた孤児たちをすべて引き入れた。
この園(共生園)が200人の子供でいっぱいだったと語っていた話を聞いてもいたのでJSA(軍事境界線)ツアーには気合が入っていた私だった。
 おかしな行動や単独で歩き回ると射殺される可能性が高い危険地帯なのだからガイドの説明の声も細かい指示が多数あった。
北朝鮮兵士に対して手を振ったりピースサインをしたり話しかけなど行動についても細かい指示があった。
イムジン川の自由の橋を通過しいよいよジョイント・セキュリティ・エリアに入った。


 目の前に軍事境界線上の青の建物が見えいる。
北朝鮮の兵士が直立姿勢でもちらを見ている。


国連軍側から見た軍事境界線上の会議場(青の施設) 右奥が北朝鮮の施設

国連軍の見学時間になりツアー参加者は青の会議場に入った。
警備は国連軍でテーブルの上の旗の置物の位置が38度線上で左側は北朝鮮で右側が韓国という
左側2㎞と右側2Kmは緩衝地帯で立ち入りはできない。
閉ざされた国境の板門店


国連軍兵士は微動だにしない


緩衝地帯の向こうに巨大な鉄塔の上に北朝鮮の大きな旗がなびいている。

幅4Kmの国境の緩衝地帯は動物の楽園になっていた。

 離ればなれになっていた家族がここを自由に行き来し会えるようになるのはいつの日かだろうか?
閉ざされた国境は人間のおろかさの象徴でもある。

旅日記の韓国を参照してください