リスボンは坂の街

2023/10/11

 リスボン この街はあまりにも坂が多い 老人としては自称鍛えているはずがリスボンでは情けなや凸凹の石畳と起伏の多さにぐったりである。
ということで朝4時に起きてメールと日記を書き上げてから一眠り9時ごろホテルの飯を食う。
 長旅で洗濯もお湯ですすぐようないい加減な洗濯しかしていない。
リスボンの宿屋は共同トイレなので洗濯がしにくく洗い物がたまってコインランドリーを利用することにした。
恥ずかしい話だがコインランドリーおれは一度も使ったことがない。
宿屋の親父が角を曲がるとそこがコインランドリーだと教えてくれる。
小さなコインランドリーで3台のうち1台が空いていた。
ちょうど店のおやじと出くわし使い方を教えてもらう。
コインランドリーではWiFiが使えると聞いていたのでパソコンも持参してついでに仕事もこなすつもりでいた。
先客の女性とたわいもない話といってもポルトガルはわからんのでおれのちんぷんかんぷんの英語とスマホ翻訳ポルトガル語で話していると彼女も自分のスマホで日本語訳で返してくる。
彼女は旦那とメキシコから3週間の旅をしてフランスを巡りメキシコに帰るという。
最初から日本語⇔英語翻訳で話せば分けないものをといってもおれの目ではどこの国人と見分ける眼力がヨーロッパ人はみんな同じに見えてわからん。
アジア人ならかなりの確実でわかるんだが?
彼女に乾燥機の使い方も教えてもらって何とか洗濯を終えたが終了したらしいサインが出たが扉があかない。
店にはもう誰もいないので宿屋の親父を呼んできた。
おやじいきなり強くこじ開けて終了 単なる力が足りんだけだった~~~

 10時ごろ宿屋を出て初めスーパーマーケットを探索したいとGoogleナビで歩いて25分 散歩にはいいと思い歩きだすが凸凹の磨きこまれた石畳 おまけに歩道が大きくうねっている さらに坂ばかり 30分以上汗かき歩いて大型スーパーに到着した。
人が吸い込まれるようにスーパーに入っていて中はすごい混雑である。
昼近くになるとその人はさらに増え中にあるレストランはごった返しの状態である。
ポルトガルもアメリカのジャンクフードに属されてマクドナルドは列を作っている。
さらに日本食人気はここリスボンでも寿司やラーメンにうどんと大流行だ。
宿屋の隣も寿司バーというが中身は国籍不明の飯屋である。
スーパーでの驚きはハムとチーズは品ぞろえが半端ではない と驚いていたが酒販売はビールとウイスキーは隅っこでワインコーナーだけはどでかくすごい数量の陳列である さすが南欧はワインの世界と実感した。

 地下鉄に乗り海外沿いにあるベレンの塔とバスコダガマや日本に来たザビエルなど発見の塔の見学にでかける。
地下鉄は乗り換えで昨日は東側 今日は西側の鉄道駅までやってきた。
ここから路面電車でベレンの塔の近くまで行く。
ベレンの塔には中を見学できるが並んでいるので次の発見の党まで歩く。
今日も1万5千歩は歩いているだろうが坂道がなければ何でもないのだが?
疲れ帰ってきて宿屋の近くの小さなスーパーで缶ビールとお菓子にヨーグルトにバナナでシャワーを浴びてから今日の晩飯として食いそく寝る。


宿屋の朝飯 これにハムとチーズとエッグタルトをお替り


右側4の乾燥機の扉固く打って 宿屋の親父 一気に引っ張ると開いたのです


時代を感じる路面電車の展示 大型スーパーの途中にて


スーパーのチーズ・コーナーは奥の裏側まで続く


ワインコーナー一部屋全部がワインで埋め尽くされている


5つ星ホテルの国旗には日の丸なし


リスボン中心街でもアップダウンの繰り返し 歩道は凸凹タイルなり 歩き疲れはすぐに始まるリスボン


路面電車の中


路面電車が走るリスボン 


ベレンの塔 入場者が並んでいるので入場はしない(歳をとるとせっかちになるんだ 時間だけはたっぷりあるのにおかしな話だが?)


発見の塔と港湾局の灯台 この手前が港湾局


日本に来たザビエルもどこかにいる


歩道には栄華を誇ったポルトガルの時代 1514年日本はポルトガルだけに扉を開いた 栄華の時代はこの後次第に短くなっていく
スペイン ポルトガルの時代を経てオランダはチュリップ・バブルで200年 イギリスの時代 気が付くとアメリカの繁栄も陰りあり
日本の繁栄は歴史で見るとほんの数秒という感じでしょうか?
永遠の繁栄はありえないということ
旅をしていると昔の資生堂のコーナーは韓国や中国だし ここポルトガルではイケヤ?が頑張っていた


バスにてメトロ乗り場まで移動しメトロにて宿屋に帰る

ということで路面電車の日だ~とおまけのバス
あ~へとへとの一日でもあり