大連の繁華街を父と訪ねる

2016年10月7日

 乗り物大好きな父が学生時代は大連と旅順は2連結のバスが運行していてよく乗ったといっている。
たぶん大連の街中を走っていたバスではと思われるが98歳にしてこの地(遼寧省)に来てその当時のことが思い出されるようだ。
列車も大連と旅順口を行き来していて乗ったという。
先日旅順を訪ねた時に駅が昔のままだので駅を訪ねたいという。
列車が希望なのでネットで調べるが中国のネット検索の使い方がよくわからないためか不調に終わる。
今までバックパッカーで回った国の中で検索で悩むことはなかったのに中国の現状では仕方ないのだろう。
Googleに慣れ親しんでいた者にはつらい中国です。
ホテルの従業員に検索してもら(受付の回線は早いから)と列車は検索に入ってこないという。
日本語が話せる従業員が汽車で行く人はいない。みんなバスを利用するという。
線路を見て父が張り切っていたのでバスでもう一度旅順まで行こうと試みることにした。

 今朝の朝食も昨日と同じコンビニのおかゆ
このおかゆにはピータン(アヒルの卵を発酵させた透き通った黒のプリプリ卵)が入っていておいしいく父の好みなのでしょう。

 9時に大連駅にタクシーで出発。
バスストップは大連駅前なので大連駅で汽車の旅順口行の時刻表はないかと思い探しに行くことにした。
やはり要領を得ないのでバスで向かうと父にいう。
時刻表を探す間は父に待っていてもらったがすでにかなり歩いている。
バスストップでトイレを先にと思いトイレを訪ねると地下にあるという。
私が探しに行くとかなりの階段を降りるようだ。
父には無理だと思うので違うところを探すというと「ホテルに帰る」といいだした。
空模様も怪しいし少し寒いのでいったんホテルにタクシーで帰ることにした。
少し早いのでタクシーで公園や古い建物のある地域を遠回りしながら訪ねてホテルに帰ってきた。
そうそう、駅にタクシーで行くときも父の勤めていた日本橋小学校にも回り道して行ったんだ。

 お昼は何を食べようか?
外に出る。ビラ配りの娘さんに韓国料理のビラをもらう。ビビンバと冷麺がうまそう。
私は辛いもの大好きで父は苦手なのを知っているのに勝手に決めてしまった。
それからタクシーで街中探索に出かける。
天津街(歩行者天国のような屋台街の感じで私好みのところ)でタクシーから降り探索をする。
一番短い距離になるようにしたつもり
(ここは父を休息中に私がホテルから歩いて下調べをしておいた。というより好きだからね私こういうところ)
昼下がりのこの時間帯は閑散としていて活気はないがそれなりに父にとっては面白かったようだ。

ホテルに帰って父が私に話し出す。
80年前のことが昨日のように思い出されるようだ。
大連教員時代は下宿のおばさんの話は断片的だが粗末な部屋で教員数人が下宿していたがよくやっていたものだとか
教頭先生は大連地区(遼寧省)の教育長になり俺の面倒を見てくれたとか?
大連の餃子はうまい毎日のように食べていたとか?
チチハルまで旅をしたとか
ハルピンはロシアの建物が多くロシア食堂でテーブルに荷物を置いたらそこは食べるところで荷物を置くところではないとえらい剣幕で店の主人に怒られたとか?
郊外の同僚のところに遊びに行くとお金を使うところがないので給料を木箱に詰め込んでいたとか
神戸の三ノ宮から大連までの連絡船は太平丸ばかりで新しくできた吉林丸に一度も乗っていないとか
満鉄の社員は羽振りが良くてよくおごってもらったとか
そうだよね 父が一番輝いていた青春時代真っただ中の旅順学生時代と大連教員時代だもの

朝食はコンビニのピータンがゆと内蒙古印のヨーグルト+バナナとアイスクリーム(父の大好物)


大連駅で旅順口行の時刻表を探すが見つからない(それにしても混雑しています駅は)


冷麺(北朝鮮の名物料理)格安だけどうまいと父はいう


ビビンバは従業員が混ぜまぜしてくれてちちはこれもおいしいが冷麺がうまいというので内心ほっとする


天津街は昼下がりで閑散としているが


天津街2


天津街3


ホテルん近く広場にて おばさん達の熱烈なる練習風景 いったい何のため?



今日も大連の一日はやはり父が一番は「日本料理」とんかつを食べておしまい

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